戦後昭和史 | 流行・風俗年表

ファッション小史

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1946

・もんぺや着物をスカートや洋服などに作り替える更正服が盛んにつくられるようになり、洋裁学校が急増した。

1947

・進駐軍婦人のパッドを入れたいかり肩のミリタリールックや、当時のパンパン(街娼)が着て広まったアメリカンルックが流行した。
・アメリカン・ヒール(5cmほどのヒールで先が丸く、はき口がハート形の女性用の靴)。

1948

・戦後初のファッションショーが東京・銀座のキャバレー「美松」で開催。5月26円には「全国ファッション・コンクール」が東京・神田の共立講堂で開催。

1949

・天然ゴム製のバストパッド「ブラパット」が和光商事(現・ワコール)より発売される。1952(昭和27)年頃にはスポンジ製となり、「甘食」と呼ばれブームになる。

1952

・ワコールが戦後初の下着ショーを大阪・阪急デパートで開催した。

1953

・専属モデルとともにファッションデザイナー.クリスチャン=ディオールのコレクションが来日。(本人は来日できなかった)当時1080円のチケットがたちまち売り切れる人気でディオール旋風と呼ばれ、モードの志向がアメリカからパリに移るきっかけになった。
・真知子巻き流行。前年から人気のラジオドラマ「君の名は」が映画化。ヒロイン役の岸恵子が長いショールを頭に巻き付けたスタイルが大流行する。

1954

・オードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』 『いとしのサブリナ』が大ヒットし、髪型(ヘップバーンカット)、ファッション(サブリナパンツ)から映画中で食べていたソフトクリームまで、様々なものが流行した。

1955

・クリスチャン=ディオール、Aライン、Yライン発表。前年にはSライン、Hラインを発表しており、これらはアルファベットラインと呼ばれた。
・スカートを極端にふくらませる落下傘スタイルが流行した。

1956

・『太陽の季節』の作者、石原慎太郎のヘアスタイルをまねた慎太郎刈にアロハシャツが太陽族の定番として流行。

1958

・皇太子妃に決まった正田美智子さんが初めて参内したとき身につけていたヘアバンド、ストール、白の長手袋が「ミッチースタイル」として大流行した。

1960

・百貨店のカラーキャンペーンが始まる。差別化のために色が初めて使われ、各店が独自の色を打ち出した。
・若い女性に、甲の部分が馬の鞍のような形になった靴「サドルシューズ」が流行。

1961

・資生堂がサンオイルを発売、日焼けという習慣が日本にも波及した。

1962

・ライオンがポマードにかわる整髪料『パイタリス』を発売。翌年には資生堂『MG5』が発売になり、男性化粧品ブームが始まる。

1963

・プレタポルテ-東京の西武デパートがそれまで「吊るし」と呼ばれて安物のイメージを持っていた既製服をプレタポルテと呼んでイメージアップを図った。

1964

・VAN、JUNなどいわゆる3つ文字屋と呼ばれるファッションメーカーが登場、特にVANはファッションだけでなくみゆき族、アイビー族など若者の風俗自体を作り出した。
・トップレス水着が紹介され、警視庁が「着れば軽犯罪法違反」と警告。

1965

・帝人、日本初のミニスカート『テイジン工ル』発売。ロンドンのデザイナー、マリー=クワントが発表したミニスカートはパリ中心のモード界の一角を崩した。
・森英恵、ニューヨークで海外初のコレクション開催。蝶のデサイン発表。

1966

・ロンドンのモッズルックが日本でも流行。細身のジャケット、スラックスに、花柄や水玉のシャツというユニセックスファッション。

1968

・東レが『ピーコック革命』と銘うったカラーシャツキャンペーンを行い、以後男性のカラーワイシャツが一般化する。
・スカート丈がミニ、ミディ、マキシと多様化する。

1969

・67年に登場したパンタロンが全盛時代を迎える。

1970

・Tシャツにジーパンというスタイルかブームになり、ジーンズファッションの人気が本格化する。

1971

・ホットパンツ登場。しかし短い流行に終わった。

1972

・東京・原宿、青山にマンション一室でデザインから販売まで全てをこなすマンションメーカーが登場した。

1972

・アメリカのヒッピーの影響でフォークロアファッションや、ベルボトムジーンズが流行した。

1974

・ミニ時代が終わり、ミディ、マキシのロングスカート時代に。

1975

・女性雑誌「an・an」が関西山の手のお嬢様ファッションをニュートラと名付け、79年頃から大流行する。

1976

・雑誌「ポパイ」が創刊になり、以後男性ファッションをリードしてゆく。

1977

・スポーツブームとアウトドア志向で、スニーカー、ジョギングパンツやデイパックなどが流行する。

1978

・ニューヨーク、ロンドンのパンクファッションが話題になる。
・サーフィンの流行とともにサーファールックが流行する。

1979

・女性ファッション雑誌『JJ』が提唱したブランド志向のスタイルが人気に。中心は関西生まれのニュートラと神奈川・横浜が発祥のハマトラ。ハマトラの典型はポロシャツ・ミニの巻きスカート、白のハイソックスなど。
・フロントフックブラジャー登場。

1980

・竹の子族のファッションが話題になった。

1981

・ジャズタンスの人気でレオタード・レッグウォーマーか流行。
・ブランド信仰がピークに達し、クリスタル族と呼ばれる。

1984

・デサイトとキャラクターを前面に押し出した・DCブランドブームが全盛を迎えた。全身黒づくめのカラス族や、もみ上げを切り落とすテクノカットが登場する。またDCブランドショップの店員かハウスマヌカンと呼ばれ、女性のあこがれの職業となった。
・ローティーンを中心にセーラーなどマリンルックが流行。
・大正ロマンを基調とした着やすいニュー着物がヒットした。

1986

・女性らしい身体のラインを強調するボディコン(ボディコンシャス)が登場。
・お嬢様ブームで上品なファッションに人気が出る。

1987

・ヒップホップ、ラップファッションとしてアディダス流行。
・紫外線カットの化粧品が登場し、色白志向が復活する。

1988

・東京山の手育ちの高校生を中心としたファッション「渋カジ」(渋谷カジュアルの略)が登場。細身のシルエットのジーンズに、夏場はポロシャツやストライプの綿シャツ・冬は∨ネックのセーターに革のハーフコート、足元はスエードのモカシンや、ローファーといういでたち。

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